

2024.5.21.
“ミッシング”を鑑賞。予告編で主演の石原さとみが、自ら監督に嘆願し役を勝ち取った渾身の作品と聞き、その熱量に圧倒され劇場へと足を運びました。
鑑賞しまず感じたことは、世の中がこんなにも「人の不幸を喜ぶ」時代になっている現実の恐怖。中島みゆきの名曲「玲子」という楽曲の中に、“ひとの不幸を 祈るようにだけはなりたくないと願ってきたが”と言うフレーズが、人間の中にある本心を吐露している切ない歌がある。だが、“ミッシング”に至ってはそんな哀愁を通り越し、もはや救いようの無い残酷な言葉や行動の乱舞。映画を見終わって、とても不愉快な気分なる。そしてそれが持続し一日中モヤモヤしてしまった。悪い癖なのだが、感情移入をし過ぎて俯瞰で物事を捉える感覚を損ない、完全に我を忘れてしまった。
物語はある日突然、最愛の子ども(娘)が姿を消した親の痛々しい姿から始まる。そこに群がる報道各社のニュースの争奪戦。昨今よく話題になっている、マスコミのあり方やジャーナリズムのあり方、そしてSNSにスポットを当てた物語は、人間のあり方を問う作品に仕上がっている。似たテーマは今までも沢山取り上げられ、多くの作品が創られている。特にSNSが世の中を動かしているとさえ言われている現代社会では、今最もに注目の集まる題材である。
失踪した娘をなんとか取り戻したく、懸命に手を尽くし探す親の、切羽詰まった感情を痛々しいほど痛烈に表現した映画に涙してしまいます。ですが、その後どうしようもない憤りが沸々と湧き上がり、その怒りみたいなものが全身を縛り付ける嫌な気分を味わう。救いようの無い、虚しさが心を覆い人間でいる事が嫌になる。映画とは色んな意味で、影響をもたらす教科書みたいなもの。ある時は幸せな気分を味わい、ある時は現実と非現実の中を彷徨い、そしてある時は怒りや哀しみの中でふと気が付く自分の生き方の是か非を見つけるヒントをもらう。正直な映画の印象を言いますが、リアルなストーリー展開は心に刺さり自身の生き方さえ考えさせらえる作品に仕上がっています。鑑賞しどんな感想を持つかは、人それぞれですが決して救いのあるお話にはなっていません。それだけに考えさせられる作品です。それでも観る価値は十分ある作品です。「人間はどう生きるべきか」の問題定義として受け止めるのには、良いテーマではないでしょうか?
主人公・森下沙織里役の石原さとみさんが、この作品にかける強い念いがスクリーンから溢れてきます。主人公が背負った自責の念を全身全霊で演じ切っています。危ないギリギリの演技は心を揺さぶり、観客の胸を打つ。ご結婚されお子さんが産まれ、この役にどうしても挑戦してみたかったと言う念いが溢れています。父親役の青木崇高さんも抑えた演技で、母親とはまた違う苦しい胸の内を堪えた難しい役を演じ見事です。また、ニュース報道番組の記者役を演じた中村倫也さんも、報道のあり方に悩む難しい役どころを演じています。ある意味もう一人の主人公として、脇を固めています。「記者」と「人間」の間を彷徨う姿は、息がつまるような場面の連続です。
私はそんな中一番注目し気になった俳優さんは、主人公・沙織里の弟を演じた森優作さん。生き方が上手くなく、人との接触を苦手とする青年のもがき苦しむ姿は、この人以外は考えられないくらい見事な演技でした。人間の持つ弱さを代表するかのよな演技に拍手です。彼を初めてみたのは、塚本晋也監督の“野火”と言う作品。ヴェネツィア国際映画祭などで多くの賞を獲得した名作ですが、そこに出演していた彼をはじめてみた時、この人は只者では無いと確信しました。塚本晋也監督自ら出演した作品は、第2次世界大戦末期のレイテ島の戦いを描いた人間の内面にメスを入れた極限の物語。今もそのリアルな表現を思い出すと、気分が悪くなるほど戦争への怒りが湧いてきます。リリー・フランキーさんや他の個性的な役者さんの中に入り、新人とは思えない存在感どだしすごいインパクトを受けたのを覚えています。
P.S. 残念ながら救いのあるラストを迎えることのない重たい作品ですが、だからこそ観るべき作品とも言えるのだはないでしょうか?みなさんの心にどう響くかはわかりません。何度も言いますが人間として自問自答するには良い課題作ではないでしょうか?