銭湯探訪66 ゆ家和ごころ 吉の湯(杉並区成田東1)
2024.4.28.
1ヶ月ぶりの銭湯探訪。今日は社会人になりはじめて一人暮らしをした街、南阿佐ヶ谷にやってきました。20歳から25歳までの5年間お世話になった街「南阿佐ヶ谷」(地下鉄・丸の内線)。さすがに駅前の風景は面影こそありますが、すっかり様変わり。それでも駅前にある区役所、そして警察署の建物は変わってはいましたが健在。とても懐かしい気分になりました。当時住んでいたアパートに向かい歩き始め、目印の交番を見つけると一気にテンションがMax。当時の思い出が頭の中を駆け巡り、あっという間にタイムスリップ。勤めていたデザイン会社は、今ならきっとブラック企業と言われるに違いないプロダクション。大きな夢を抱いて入社したその会社は銀座にあり、何もかもが未知の世界。入社初日から終電という、びっくりするような忙しさ。ただ先輩などから「徹夜など当たり前の業界だよ!」と聞いていたので、慣れるのにはそんなに時間はかかりませんでした。初任給58,000円で当時家賃20,000円のやりくり。生活はギリギリでしたが、苦しいながらも楽しい毎日を送っていたのは好きな仕事だったからに他ならない。双子のおばあちゃんが家主さんで、木造モルタルのアパートは他に三人の借主が住み、お風呂はなく共同トイレ。生活パターンが違うのか、まず他の住人と会うことはありませんでした。私の帰りが遅いので、大家さんの当別な計らいで、玄関の鍵を預かっていました(門限は10時)。隣のアパートとの間が50cmくらいしかなく、夕方西日が30分くらい差し込むそんな部屋でしたが私には大切な城。勤めはじめほぼ2年間は終電近くの帰りで、大好きな銭湯は閉店間際の滑り込みがほとんど。お客のいない洗い場で一人身体を洗っていると、突然電気が消え始め焦って上がったことが、昨日のように思い出されます。何もかもが懐かしい青春時代の1ページ。今振り返れば、この経験は宝物のようで一生の思い出です。当時通った銭湯は残念ながら、2件とも廃業していた。さて、その街に今も営業している銭湯“ゆ家わごころ 吉の湯”。住んでいた住所は2丁目でしたが、こちらの銭湯が昔からあったのかは定かではない。
アパートから10分くらいの距離でしたが、住宅地を網目のように張りめぐる道に苦戦し迷うこと30分、やっと辿り着いた“吉野湯”。閑静な住宅地の中にポツンと佇む姿は、大きな空の下でドンと構え私たちを迎えてくれました。今日も門下生Mを連れ立っての探訪旅。すっかり銭湯にハマってしまったMは、いつも楽しみにしていると言ってくれるので、私もテンションが上がり銭湯探しがルーティーンになりました。一人だとフッと思いつきで出かけるのですが、Mを誘う時は遠くても楽しめる、個性豊かな銭湯を物色する。今回その網にかかった銭湯が“吉野湯”です。玄関を開け中へ入るとフロントがあり、早速サウナを申し込むと「40分待ちです!」という返事。Mと顔を見合わせアイコンタクト。サウナを諦め入浴のみを選択。見ればフロント前にはサウナ待ちのお客さんが数人。どうやら人気なようである。そしてそのまま脱衣所へと・・・。とても清潔感にあふれたスペースは特別凝った作りでもなくシンプルで今風。浴場に入るとこれまた「銭湯、銭湯」していない壁面に囲まれ、目の前にドンとメインの湯船。ジャグジーや電気風呂に組み分けられ、浴槽は緑(薬湯)のお湯がゆらめいていました。奥に進むと別空間が広がりサウナ室、そして露天、壺風呂と、心が弾む個性的な湯船のオンパレード。サウナは残念でしたが、十分楽しめる空間を思う存分楽しんで、1時間半ほど滞在。風呂上がりに食べたアイスと喉を潤すフルーツ牛乳はたまりませんでした。まさに極楽、至福のとき。喉を通る優しい甘みのフルーツ牛乳を飲み干す瞬間、思わず出てしまう「ぷはぁ~~~っ」の言葉。この気持ちお風呂好きの皆さんならわかりますよねぇ~。
帰りは住んでいた頃よく行った「阿佐ヶ谷パールセンター商店街」を抜け、昭和の匂いを感じながらJR阿佐ヶ谷駅へ。そして近くで食事と一杯。今日も大満足の一日。さて、次はどこを訪ねましょう。