2023.5.17.
“アルマゲドン”で思い出すのはやはり、1998年公開のSFアドベンチャー作品。当時大ヒットを飛ばし、エンタメを代表する作品となり今もファンは多い。あれから25年が経ち、いままた「アルマゲドン」という言葉をタイトルにした作品が生まれた。言葉の意味を紐解くと新約聖書に記述された、終末に行なわれる善と悪の最終決戦とある。映画““アルマゲドン”は隕石に立ち向かう人間たちの戦いを表現していたのだが、今作は人の中にある自身との戦いとでも言うようなそんな物語。
舞台は1980年のニューヨーク。12歳のある少年の成長と後悔を、地味だがきめ細やかな演出で紡いでみせる。タイトルの““アルマゲドン・タイム”は、最後になるほどと胸に突き刺さる。“アルマゲドン”とは、正反対の作品は、本当の意味で「この言葉の示す意味」をしっかりと思い知らされる。
物語は少年を取り囲む、どうしようもない現実と矛盾した思いが交錯し、少年のこころに大きな傷跡を残し終る。実に地味な作品である。利益再優先の映画界でよくもこのような作品を創り上げたと、驚くばかりのわたし。とくに盛り上がるような要素も見つからず、淡々と少年に寄り添い多感な時期の主人公と向き合う。主人公は今で言うADHDだと思われる。落ち着きがなく、ひとと同じ行動が出来ない問題児。ただ何よりも絵を描くことが大好きで、その才能は誰よりも秀でている。そんな少年は人付き合いも不得意だし、自分の気持ちを素直に表現できるのは唯一、母方のおじいちゃん。何があっても見方をしてくれる、おじいちゃんは唯一無二の存在。この物語は監督であるジェームズ・グレイの実体験が生んだ自伝的作品とのこと。冷戦時のアメリカにレーガン政権が誕生する前夜のニューヨークの片隅で起こる。どこにでもある出来事だが、12歳の少年にとっては生涯を左右する大きな経験が描き出される。少年を観ていると、まるで自分の少年時代が重なってみえてくる。勉強は大嫌いで、いつも絵ばかりを描いていたわたし。わたしも間違いなく、いまならADHDに違いない。ぜんぜん恥ずかしいとか思いませんが…。ちょっと人と違うことすると、今の世の中はすぐに「何々ちゃんは○○ョ!」なんてレッテルをはる世の中ですが、この作品はそんな問題にも警報を投げかけているそんな気がします。盛りあがりはないものの、実に考えさせられる映画である。とても見近に感じるテーマは、見終わった後もその余韻が残り主人公のポール少年がこの後どんな人生を歩んでいくのか気になってしょうがない。そしてもうひとりの黒人少年ジョニーのことも…。結論を出さない物語は、ある意味リアルである。それこそ日常茶飯事の出来事はわたしたちと隣り合わせと言うことを伝えている。少年を取りまく環境は、無邪気で多感な少年のこころを容赦なく責め、社会の理不尽さや不公平さを痛感させられる。不条理の抗いながらも、大切なものを失って痛感する自分の無力さ。人ごとではなく、まさに合わせ鏡のように自分と向き合う時間がこの作品で感じます。自分はどれだけ人を傷つけて生きているのだろう?と考えてしまう。
時間の流れの中の一瞬を切り取った作品は、自文を振り返る切っ掛けとなるそんな作品です。こころに残る1本となり、ぜひ観て欲しいそんな作品となりました。
P.S. ポール少年のこころを思うと、胸が苦しくなります。家族のあり方や人と人との繋がりなど、さまざまな理屈では割り切れない問題がちりばめられ胸を揺さぶられる。主人公二人の少年はオーディションで選ばれたバンクス・レペタくん(ポール)とジェイリン・ウェップ(ジョニー)くん。素晴らしい演技で名優さんたちをも凌駕する。脇を固めた祖父役のアンソニー・ホプキンスはいつもどおり言うこと無しの存在感だし、母親役のアン・ハサウェイと父親役のジェレミー・ストロングも親のエゴを見事に表現していて、物語に深みをだす素晴らしい演技でした。でもやはり、一番は二人の少年です。少年にとっての善と悪の戦いは、この先どれだけ続くのでしょうか?出来ることなら純粋なこころを失わないで欲しいと願うばかりです。