2022.4.01.
MARVELが放つ新作、“モービウス”を鑑賞。ここのところのMARVELの新作を観ていると、何か以前のようなコミックの特徴である正義のヒーローが悪を倒すという構図が崩されてきたように見えます。DCも同じく“ジョーカー”でも解るように、単に悪人という提議を崩し、ひとからサイコキラーへと変貌をとげた人物像にスポットをあて、社会が抱える闇まであぶり出す人間ドラマへと深い内容の物語を創り出している。その背景には国や人間が抱える世界規模の不安感が、作品に投影されているような気がします。表と裏の構造は、立場によりどちらにも変わってしまう、さけられない矛盾の連鎖が永遠に続くという愚行を表現しわたしたちに考える機会を提供しているそんな気さえします。わたしの深読みかも知れませんが・・・。
さて、“モービウス”ですがその見た目は、どうひいき目にみても悪(ヴィラン)そのもの。目の前に現われたら、だれだって友だちになろうなんて考える余裕さえできない。コミックでは、まぎれもなくヴィランとして扱われスパイダーマンの宿敵となっているようだ・・・。“ヴェノム”もいっしょだが、どうしたらこんなに恐ろしいキャラを作り出せるのかと思うくらいCGを巧みに使い創られています。マンガの画はまだ愛嬌があるとつくづく思ってしまいます。絶対悪から人間味をおびたキャラに変貌を遂げはじめた、ヴィランのキャラたち。そのあたりを取り上げ構築はじめた新しいコミットクキャラたち。とくに目立つのがヴィランたち。その裏側に見え隠れする差別、偏見、人権などのいまも続く社会に根付いた問題。それらの多くが混沌とした社会に渦巻き、大きなうねりとなって世界を壊そうとしていることを暗示している作品かも知れません。何を信じて良いのかも解らない不信の時代を、いまリアルに浮かび上がらせるのにはもってこいのテーマが、ヴィランに内在していることに制作者たちが利用しはじめたようです。映画としては重たいテーマですが、これも社会を繁栄した潮流なのかも知れません。
“モービウス”を観る前は、見た目ドラキュラと狼男をたして2で割ったようなキャラで、自分勝手なイメージを抱いていました。ところが観ると、極端に言えばヒューマンドラマを過激に表現したそんな作品になっていました。SFには違いないが、あながちない話でもないようにも思えてきます。ちょっと飛躍し過ぎですが、テーマはリアル。そのあたりがコミックヒーローの壁を超えてしまった感じです。思うにDCにしても、MARVELにしてもこども相手の作品づくりはもう考えていないようです。相変わらずVFXなどを駆使したCG技術の表現は秀逸のひとことなのですが、そこらへんもそろそろ飽きてきた今日この頃。昔の古い作品を観ると何もかもが手作り感満載ですが、ちゃんとこころにも響くしスケールだって凄いと思わせてくれる作品は数多い。つい先だって観た“ウエストサイド物語”なんかは、昔の作品観るとその凄さをあらためて実感します。
面白いかそうでないかは、観たひとそれぞれの感想にゆだねます。さてわたしは???ラストにヴァルチャーの再登場ですが、いったいどんな展開になっていくのか?はしばらくお預け。2年くらい先になるのでしょうか??楽しみです・・・。
果たして“モービウス”は、ヒーローなのか、はたまたヴィランなのか?
P.S. NEWSでウィル・スミスが話題になっていますが、いろんな意味で残念です。もう一つ残念なのは、ブルース・ウィルスの引退宣言。個人としては復活を願ってやみませんが、ともあれ「お疲れさま」と感謝の言葉を贈ります。