

2020.11.9.
昭和の大事件(1984~85)が蘇った。気になっていた映画“罪の声”を鑑賞。この作品は作家・塩田武士氏が子どもの頃に起こった「グリコ・森永事件」を題材に、書き上げた社会派エンタメ小説。完成するまでは長い時間がかかり、「生みの苦しみ」を味わった思い入れの深い作品と氏は語っている。映画のエンドロールで、この作品は~、フィクションであると謳っている。が観れば解ることだが、当時の事件をかなりリアルに浮かび上がらせフィクションと呼ぶには少し疑問が残る。塩田氏はもと新聞記者という経歴が示すとおり、映画の主人公さながらに当時の事件を様々な角度から調べ上げ書き上げた渾身の作品。事件自体はまぎれもない事実である。モチーフとなっている脅迫電話の子どもの声など、ほとんどが事実の事件内容なのである。
1985年と言えば、わたしは当時30歳。仕事に夢中でメチャクチャ忙しい生活を送っていたが、この事件は昨日の出来事のように覚えている。グリコの社長を誘拐し身代金を要求したのを皮切りに、グリコや森永などの食品企業に脅迫状を送り小売店に青酸入り菓子を置き、日本全土を震撼させた。わたしは子どものころからグリコや森永などおまけ付きのお菓子が大好きでお世話になり、商品が食べられなくした犯人たちの行動に強い怒りを感じたものである。結局犯人は捕まらず、そのまま年月が経ち事件は時効となった。「かい人21面相」と名乗った犯人(たち?)は、結局企業からは脅迫したお金を手に入れることはなく、そのままお蔵入り。何が目的だったのかは、いまだに謎の多い事件である。
今作“罪の声”を観て、当時のことが思い出されいろいろと考えさせられてしまった。ひとつは人間という生き物は、時間と共に出来事を忘れてしまうという事実。良い意味でも、悪い意味でも・・・。映画は原作に忠実に描かれていたようだが、子どもの声という視点から掘り下げた仮説的なストーリー展開は観客の好奇心に火をつけ最後までこころを掴んで離さない。面白いといっては失礼というか罰当たりというか、事件に隠されたの真実への興味が再び湧いてきてしまった。映画には描かれていないが、当時の滋賀県警本部長が犯人を取り逃がした責任をとって退職の日に焼身自殺したことをしったわたし。そしてその後犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終息宣言がマスコミ各社に送られ、この事件は終息を迎えた。お金も奪われず、一般市民の犠牲者も出ず何事もなかったように事件は国民のこころからも消えていった。映画のように少なくとも「苦しんだ人間がいた」という事実は間違いない。そう思うと何か複雑な気持ちが入り乱れ、時効という制度を今一度見つめ直す、そんな気持ちが強くなったわたしである。みなさんはどう思われるでしょう。いろいろな意味で、問題を投げつけるいい作品ではないでしょうか?
主人公のひとり事件の真相を追う新聞記者の阿久津を演じた小栗旬、そして脅迫電話に利用され晩年苦しみを背負ってしまったテーラーの主人・曽根を演じた星野源、二人の渾身の演技は胸に染みるものとなり記憶に刻まれました。事件に関わるキャストの面々もみな存在感が半端なく、当時の事件を見事に掘り起こしてくれてます。ベテランの俳優陣がわずかな出演時間にも関わらずキラリと光るいぶし銀の演技をしていて、その熱量がそのまま映画のクォリティを高めています。俳優のみなさんに大拍手です。そして監督の土井裕泰さんにも感謝です。原作をこんなに読みたくなったのは、久しぶりの感じです。映画とはまた違った感覚で、この事件を改めて検証したいと思います。