
2020.8.14
うだるような暑さの中、墓参りに出かけたわたし。それにしても何という暑さだろう。予報では最高気温は東京が36℃。地球温暖化が叫ばれ随分と経つが、今年の暑さも半端ない。そう言えば子どもの頃、夏と言えば虫採りに夢中で、蝉の声と共に目覚め一日中日が暮れるまで家に帰らずよく母に叱られたことを思い出す。遠い昔のことである。たしか当時は32~3℃でも最高温度だったと記憶している。そう考えると35℃を超える暑さはどう考えてもおかしい。こう暑いと子どもでも外に行きたくないのでは???まっ、今時蝉採りをしている子どもの姿を観ることはほとんどないのだが・・・。
千葉にある植草家の墓に出かけた。子どもの頃は、墓参りなど一番行きたくない面倒臭いことのひとつで、線香の匂いがすごく嫌だったことが思い出される。なんと罰当たりなことを思っていたものだ。それがどうだろう60も過ぎ、大分黄昏れる年齢になってきたいま、けじめの盆暮れに来る墓参りも悪くないと思うようになった。きっとこれが歳を取ったということなのだろう。昔は墓参りの後必ずと言って本家に顔を出し、挨拶に行ったことが思い浮かぶ。そんな親戚との付き合いも、いまは遠いむかしの思い出になりつつある。おじさんやおばさんみな亡くなられいまはお墓の中。人生はいろいろあるが、終わりはみな平等にやってくる。墓標には母、父、兄の名が刻まれている。母51、父68、兄69、現在にしてはみな早い人生に終焉。わたしもいつかこの中になんて想うと、なんだか焦りみたいなものを感じる。66歳の自分だがまだまだやり残したこともあり、いまだにもがいて暮らしている。そんな中一年に数度の墓参りだが、妙にこころが穏やかになるのは何故だろう。そして少なくともこの時だけは、普段は想いもしない今まで生きてきたことを振り返り、しみじみと人生とはを考える自分と出会うのである。先祖の霊に合掌。