2019.10.22
小雨が降る午後、錦糸町まで“楽園”を観に出かけました。吉田修一原作の映画作品はいままでも多く映画化され、そのどれもが高い評価を受けています。中でも“悪人”“怒り”はわたしのこころにしっかりと刻まれた作品。芥川賞をはじめ多くの賞を獲得しているサスペンス小説の第一人者が放つ犯罪小説集の中から2編(青田Y字路と万屋善次郎)を抽出した今作“楽園”。監督・脚本には“64前・後”の瀬々敬久がメガホンを取った。スペシャリストと言える2人がタッグを組み創り上げた作品には、観る前から期待がMAXの状態です。
そして鑑賞後に残った感覚は、やるせないモヤモヤとしたぶつけようにない重たい感情。その夜はそれらを引きずり眠りにつくことが出来なかったわたし。イライラとした感情が渦巻き、その日一日不愉快な気持ちが続き、だれとも言葉を交したくないと思う自分がいました。こんな気持ちになったのは、そうそうありません。それを消化するために、物語を反芻し思い返して主人公たちの気持ちに近づこうと考えてみました。
物語は青田が広がるある集落でおこった、少女失踪事件から動き始める。浮かび上がる疑心暗鬼の人間模様を紡ぎ出し信じる事の難しさ、信じれない事の哀しさやるせなさが交差し絡み合う。どうして人は部外のものを嫌うのか?世界中に難民が溢れている現在だが、日本の歴史にも昔から根強く残る負の連鎖的差別が浮き彫りになるこの作品。そんな差別意識が招いた、予測不可能な事件へと発展していく展開に胸が締め付けられる。そして、自身の中にある怒りがわき上がる。3人の主人公たちの感情が観ているわたしに乗り移り、どうしようもない思いが行き場を失う。これほど不愉快な気持ちになったのはいつ以来だろう?こんな言い方をすると誤解を招くのでフォローしますが、作品が悪いということでなくどこにでもおきるであろう日常生活の一コマに自分が重なり恐くなるのである。
主人公のを演じた3人(綾野剛・杉咲花・佐藤浩市)が凄い。それぞれに難しい役どころを見事に演じ、観客のこころの中ににグイグイと入ってくる。それぞれに心の傷をかかえながら、懸命に生きる姿は切なく哀しい。その三人が不思議な力に引き寄せられ、予想も付かない方向へと物語は進んで行く。あり得ないようであるようなそんな感覚が纏わり付き、最後まで息苦しさが続きます。この作品はある意味見せてはいけないひともいる気がします。感情移入しすぎるような人には要注意作品。何時もながら佐藤浩市(田中善治郎役)の演技は見事としか言う事が出来ず、いつも毅然とした男を演じてきた彼のイメージがまた一つ変る。もうひとりの主人公・中村豪士を演じた綾野剛。この人は、こう言う繊細な役をやらせると本当にうまい。“怒り”のときの演技はいまでも強い印象で刻まれています。そして二人と関わる唯一の女性・湯川紡を演じた杉咲花。彼女の最後まで希望を捨てない凜とした姿こそ、この作品の唯一の救い“楽園”なのではないでしょうか。彼女の演技もまた二人の名演技に勝るとも劣らない素晴らしいもので、ラスト近くで藤木五郎(柄本明)と交す言葉「解らない!解りたくない!!」は刺さります。彼女が演じた紡という名は、豪士と善治郎という傷ついた二人の心を紡いでいくという、そんな役割なのかも知れません。プログラムの巻頭に「疑う罪。信じる罪。」と書かれた文字が強く印象に刻まれます。まさにこの答えを探すために描かれた作品ではないでしょうか?鑑賞にはかなり体力が必要ですが、気力のあるひとにはぜひ観ていただきたい作品です。
P.S. 仮面ライダー555でデビューした彼だが、こんなに素晴らしい俳優さんになるとは失礼ながら思いもしませんでした。どことなくクールで物静かなイメージですが、バンドを組んだりかなり好奇心の塊で性格もサービス精神満載の熱血漢と聞きます。それを知るとますます彼の凄さが伝わり、ますますファンになります。次回作“閉鎖病棟”“影裏”と話題作が続くようで目が離せません。