2019.7.24
中東レバノンの社会の底辺で暮らす12歳の少年ゼインが、
「自分を産んだ罪」で両親を訴えるシーンからはじまる映画“存在のない子供たち”。これほどまでに過酷で理不尽なことがあっていいものかと、胸ぐらを掴まれる作品に出会ったことがない。自分の事さえ必死な12歳の少年の、弱きものを思う深い愛の大きさと強さにこころが揺さぶられます。いきなりですが、見終わった後に、自分たちがいかに幸せであることの再認識させられることと、反面自分がいかに無力かを思い知らされる作品です。ドキュメンタリーのような作風になっている映像に浮かび上がる、世界の片隅で起きている現実に胸が潰されるような感覚を覚える。リアルなストーリーは、今回の作品でメガホンを取ったナディーン・ラバキー監督の熱い念いは、数多くのリサーチから今回の脚本が生まれたと聞く・・・。リサーチの中で軸になったテーマが、「生まれてきて幸せか?と聞くと、99%の子供がノーと答えた。」という事実。そして映画の製作はなんと半年にもおよび、あのリアルな映像が生まれたそうである。冒頭スラム街をドローンで撮影した真上からの映像は、不思議な文様を浮かび上がらせその中でうごめく人々の姿が格差社会をあたかもシンボライズしているようで生々しい。
主人公のゼインを演じたのは、年齢はもとより名前も同じのゼイン・アルラフィーア君。彼の演技は凄過ぎて、演じているという感じが全くなくまさに本物。他の出演した子供たちも、自然体でそれが余計に痛々しく胸に突き刺さる。聞けばほとんどの出演者が、映画の内容とほぼ同じ経験をして来た人たちだと言う事実。地元レバノンでは、公開と同時に賛否の渦が沸き上がり、社会現象にまでなったとのこと。監督やスタッフもその後、いろいろな軋轢があったようである。こういう作品が絶対不可欠であると思うが、製作陣の覚悟がなければ絶対に生まれてこない作品なのだと思う。それだけに、見終わると悲しさを通り越して、苦しくそして情けなくなってしまうのである。地元で起きたと言う、社会現象になった波がそのまま当たり前のように忘れ去られないような社会であって欲しいと願うばかりだが・・・。そんなことしか、言えない自分がほんとうに情けないです。自分に出来る事を探し、直接関係なくてもちゃんと人のためになるような人間でありたいとこころから思う。裁判のシーンでゼインが、“自分を誇れるようなひとになりたい”と訴えるシーンは涙を誘う。
作品を観る前、予告編を観ただけなのに泣いてしまったわたし。高齢化にともない、涙腺が緩みっぱなしである。こんなだだ漏れのおじさんですが、泣いてばかりいては失礼だと本気で思いもっと真剣に生き、自分のやれる事を100%出し切れるようにしようと改めて思いました。
みなさんにもこの現実を、知っていただき考えてもらうヒントにしてもらえると嬉しいです。自分のことで精一杯なひとも、いやむしろそうゆう人こそ観るべき作品かも知れません。T(USA)さんには、きっと伝わらないと思うので・・・???
※余談ですが、この作品中にゼインの弁護士を演じていたのが監督さんだという事です。観れば解りますが、眼光の鋭さは徒者ではありません。(第71回カンヌ国際映画祭審査委員賞受賞)
P.S. エチオピア不法移民の女性の1歳の息子ヨナスくんの表情がアドけなく、とても強く印象的でした。ある意味、人間の底力を感じる仕草がその一コマに凝縮された監督の願いや思いが詰まったシーンでした。あと、ラストで見せるゼインの初めての笑顔が永遠に続く事を願ってやみません。