

2018.3.23
最終日駆け込みで、往年の名作“麥秋”をはじめてスクリーンで観ることに・・・。公開されてから60年以上も経つという昔の作品なのに、どうしてこうも感動させられるのか。1951年に上映された作品は、時が経っても色あせないジンワリとこころに染み込む演出で、あらためて小津安二郎監督の凄さを味わうことになりました。日本を代表する監督として、かの黒沢明よりも世界では評価が高いとされる名匠小津安二郎。いままでDVDでしか観たことのない自分ですが、今回劇場スクリーンで鑑賞し何とも言えない世界観にすっかり酔ってしまいました。平凡な生活をただ描き出すだけなのに、なんでこんなにもひとを愛しく思えるのだろう。日常の中にある風景をほんのちょっと切り取った物語に、どうしてこうも感動してしまうのか?見終わった時感じたのは、小津監督の中にある人間愛が、人並みはずれ深く大きいことに気づかされる。そう、人が大好きで愛おしくてたまらないという、そんな感情が作品の中に溢れ出ているのです。庶民の何気ない生活を切り取り、だれにでもあるこころの動きを描き出すだだそれだけなのに・・・。タイトル名の“麥秋”の麥と言う字をよく見ると、人という字が幾つも重なり合って構成されています。想うにきっと人生の秋を迎える人々への賛歌として創られた作品なのだと、ひとり想うわたしでした。
映画はまずテーマを決め、観客にメッセージを贈る形で創られるもの。基本かなり題材を選び吟味し表現に繋げて行くため、ある意味独創性が要求され、時に押しつけや思い込みへと繋がってしまうもの。伝えるべきテーマがはっきりとしていればいるほど、良くも悪くも作品は創りやすいとは思うのだが・・・。小津監督作品には、そうした大上段に構えたテーマはほとんど見受けられない。それなのに何故こんなにも、人に寄り添い感動を与えてくれるのか不思議である。催眠術にでもかかったような気分になる。世界で賞賛されるのは、自分たちと同じ人間が織りなす等身大の世界を包み込むように優しく描き出すからではないでしょうか?時折入るユーモアを巧みに交えそれもサラッと・・・。観る側がこんなにも肩の力を抜いて鑑賞出来る作品は、エンターテイメントを目指す作品が多い中そうそうない。ここがだれにもまねの出来ない、小津ワールドなのでしょう。“麥秋”は、小津作品の中では最高の呼び声高い作品だと言われています。観て損のないことは、わたしも保証いたします。偉そうに言って恥ずかしいのですが、時代がどんなに変わっても、絶対に変わることのない人を想うこころ、そして忘れがちな人に寄り添う気持ちを思い出させてくれます。こころがじわぁ~っと暖かくなりとても幸せな気持ちになりました。
小津監督には欠かせない女優の原節子さんは、まさに伝説になっている人。この作品でも他の女優さんにはないオーラが出まくり物語の主人公紀子を演じています。役は少しだけ裕福ではあるが、戦後間もない頃の日本なので生活はごくごく質素である。そんな庶民役でも何とも言えない上品さが溢れ、まさにこれぞ女優と言わせる魅力が画面から溢れてきます。まわりの俳優陣もみな実力者揃いで、映画史に残る名優ばかり・・・。原さんを含め当時はまだ、みなさんそんなお年を召していないのに凄い存在感。名を残す人は、はじめから輝いていると言うことをまざまざと見せられます。後に紀子が嫁ぐ家の姑さん役の杉村春子さんがやっぱり半端ない存在感でした。戦後ようやく平和を迎えたひとびとの、細やかな幸せを描いた作品の“麥秋”だが、監督はこの作品で「人の世の、輪廻と無情」を描きたかったと述べています。
P.S. 劇の最後、お母さん役の東山千栄子さんがぼ~っと部屋のどこかを見つめ発した言葉
「いろいろありましたが、幸せな人生でしたねぇ~。」が、すべてを表しているようなそんな気がします。