2017.3.14
カンヌ国際映画祭グランプリ作品“たかが世界の終わり”を鑑賞。朝から小雨が降り肌寒い。どんな日でも、観たい作品があれば出かけるわたし。雨の銀座もたまにはいいなんて、思うようになったのは年のせい・・・?
今回の作品は予告編を観て、ぜったい観ようと心に決めていたもの。魅力的な出演者たちに加え、天才の呼び声高い27歳の監督グザヴィエ・ドランにひかれてのこと。彼の作品ははじめてだが、19歳で監督デビューしたドラン監督の高い評価はカンヌ、ベネチアなど多くの国際映画祭で賞を手にし折り紙付き。今回も監督のほか、脚本/制作/編集とその才能を存分に発揮しています。
さて、作品ですがただただ俳優さんたちの魂のこもった演技に圧倒されるばかり。久しぶりに演技力の持つ作品の重さを感じさせる、まさに死闘とでも言う迫力ある演技を官能しました。ある家族のたった一日を描いただけなのに、この家族が抱える目に見えない葛藤やこころの叫びが見る側に怒濤のように押し寄せてきます。映画を鑑賞するとよく泣くわたしですが、この作品は今までとは違う涙を誘い考えさせられます。たまたまですが、朝の連ドラの中のセリフで、「映画は見せるためのものではなく、考えさせるものである」と言っていましたが、この映画はまさにそれ・・・。
ある知らせ(主人公ルイ)を伝えるため、12年の時を経て再会する5人の家族。一人ひとりがそれぞれの立場で押し殺していた感情を爆発させ咆哮する姿は胸に突き刺さる。ほんのすこしのボタンの掛け違いが、家族を迷路へと引きづりこみ時が過ぎて・・・。誰が悪い訳でもなく、誰が正しい訳でもない・・・。そこにはただ深い、家族と言う繋がりが存在している。わたしたちにも身に覚えがあることではないでしょうか?物語はちょっぴり哀しいが、わたしは家族の絆の深さを感じとても印象に残りました。音楽もとても効果的に使われ、家族とは・・・をとても上手に表現しています。ラストシーンも目に焼き付く印象深い演出で、こころに残りました。自分の目でお確かめください。この作品はフランスとカナダの合併作ですが、台詞がフランス語なのが言葉の持強さを抑え
、それがむしろ重厚感を醸し出しております。宣伝文句の
“これが最後だなんて、僕たちは哀しいくらい不器用だった。”は物語の本質を言い当てた名言ではないでしょうか?主人公ルイ役のギャスパー・ウリエルの言葉少ない哀しみを押さえた演技は、いっそうその辛さが伝わり締め付けます。長男アントワーヌのヴァンサン・カッセル、妹シュザンヌのレイ・セドゥ、兄嫁カトリーヌのマリオン・コティヤール、そして母のナタリー・バイ。みな凄いとしか形容できない演技で、この作品はこの人たちだから表現されたと思わせる凄みを感じます。舞台劇でも観ているような言葉のバトルは、本当に胸ぐらを掴まれ言われているようでぐいぐいと沁みてきます。大拍手の演技です。それぞれの俳優さんたちのポテンシャルの高さを再認識出来ます。ハリウッドにはない薫りのする作品に、久しぶりに酔いしれたいい時間をいただきました。