

2015.Aug.13
8月15日が毎年訪れる度、世の中は戦争の傷跡一色に染まる。本当はいつだって忘れてはいけないことなのに・・・。
戦争映画の名作は多い。アクションを主体にしたものから、リアルな描写で戦争の現実を訴えたものなど表現はさまざま。ただどの作品も決して戦争を美化したり肯定はしてはいない(と信じたい)。戦争の恐ろしさは誰にでも解る、愚かな行為だということも・・・。今があるのは戦争を乗り越えて来た先人たちがいたからこそと感謝し、二度と同じ過ちを繰り返さない平和な日本であり続けてほしいと思う。
久しぶりの日本映画です。ときどき無性に日本の映画が観たくなる。きっと日本語が恋しくなるに違いない。いま観たい作品は、3本すべて戦争がテーマのものである。今日はそんな中、すこし毛色のちがった戦争映画を見て来ました。選んだ作品は“この国の空”。芥川賞作家の高井有一の原作の、戦争を背景にしたホームドラマである。この作品は戦時かの庶民の生活にスポットをあて、どんな状況化の中にあっても人は逞しくかつ、淡々と生きていることを表現している。隣人との不倫、母と娘の性、などおおよそ戦争映画とは縁のないテーマがそこにある。ネットの評論でこの作品のことが載っていた。「不謹慎だ!この非国民!!」などと書かれたものだが、もちろん本音でもありジョークも含んだものと解釈する。わたしの感想は、戦争中でも人の中にある本性(性)はなんら変わらないという、ある意味正直な生きざまを素直に受けとめました。ギリギリの中だからこそ、いっそその想いは強くなり相手を求めるのはまさに摂理。この作品は監督として2作目となる脚本出身の荒井晴彦ということで、言葉や音などを大切に拘って創っているのが伝わります。映画なのだが文学の匂いがします。余計な演出や音楽は控え目にした表現は、名匠小津監督を連想させる。たんたんとゆっくりと時間が流れ、戦争のさなかなのに何故か達観して生活を送っている主人公たち。見終わって思ったのは、どんな時でも人は人と寄り添い生きて行きたいと強く思うこと。エンドロールで流れる、茨木のり子んの「わたしが一番きれいだったとき」が主人公(里子)の強く真直ぐな心情に重なり何とも言えない余韻が残る。終戦の日、主人公里子の発した言葉「これから本当の戦争がはじまる」は、女の強さを思わせる見事なセリフでこころに刻まれた。全体にソフトな創りだが、それが逆に緊張感をつくりこれも戦争映画なのだと納得させられた。雨のシーンではじまり、雨のシーンで終わらせる何とも言えない演出に監督のセンスを感じました。印象的なシーンも多く、神社の境内でのキス(未遂)シーンの蝉の声が一瞬消えるとこなど感情表現の巧みさに心酔です。河原での母と娘の本音の会話など好きなシーンがいっぱいでした。題材は不倫ですが、ぜんぜんいやらしくなっていないのは凄い。むしろ美しいとさえ思わせてしまうのは、原作の素晴らしさと監督の表現力。そしてむかしの丁寧な言葉使いの優しさがあるからではないでしょうか?透明感溢れる作品に、ものたりなさを感じる人や現実的ではないと思う人も多いはず・・・。意見はきっと真っ二つに解れることでしょう。でもわたしは、好きな作品です。
※里子を演じた二階堂ふみの底知れぬ可能性をかいま見、元アイドルだった工藤夕貴(母親)や富田靖子(伯母)2人の演技にも年輪と深みを感じ、とても嬉しくなりました。もうひとつみなさんは知らないと思いますが、往年の歌手・下田逸郎(シンガーソングライタ−)が音楽を担当しています。いまでもレコードを大切にしています。