2011.Aug.08
「コクリコ坂から」を観た。カウンターでツボにハマってしまった。映画の内容もそうなのだが、時代背景が自分の育ったときそのもの。高度成長期が幕開けするちょっと前の日本。みんながまっすぐ生きていた、そんな時代の話である。画面の中、1994年東京オリンピック(亀倉雄策・作)のポスターが目を引く。そのときわたしは小5である。主人公たちはすこし年上の高校生。だが、描かれているすべてが、まさにリアルタイム。わたしは江戸川区の下町育ちで、舞台の横浜にはほど遠い風景だが、町並み、商店、外灯、オート3輪車、路面電車などなど・・・。全部育った頃と同じである。肉屋で買ったコロッケを歩きながら食べたことも、もちろんある。コロッケは薄い木の皮に包まれ、当時は売られていたことが懐かしい。わたしの家は貧乏で、むかしはいっぱいあった長屋に住んでいた。6畳と4畳半の家に6人家族で住み、うなぎの寝床状態。それでもなんか幸せだった。ご近所のひとたちも個性的だが、あったかいひとばかり。わが町は、映画の「コクリコ荘」のような、洋館もあった。庭先におおきなソテツの木があったことを、思い出す。映画を見終わった後、こんなことがやたらと頭に浮かび、すっかりノスタルジックな気分になってしまった。そう言えば、わたしの高校時代も学園紛争があり1年もの間、授業が行われず毎日が集会。物語のあれやこれや本当にピタッとハマってしまって、映画鑑賞なんてところを通り越し浸ってしまった。もうひとつ、初恋は中3のときで、2学年下のクラスメートの妹。その子も3つ編みの、ちょっぴり生意気だがとても清潔なひとでした。すみません昔話ばかりが出てしまい・・・。鑑賞中何度も涙をぬぐってしまったが、わたしひとりが浮いていた気がする。小学生にはまだムリかも・・・?
映画だが、宮崎駿さんが、息子の吾朗さんに監督をまかせたのは、自身が描くとリアルすぎて懐古趣味的になってしまうようでと、TVのインタビューで語っていた。まったくその時代をしらない吾朗さんは、逆に知ろうとし丁寧にそして自分なりの世界を築き上げたようである。主人公の海と俊の淡い恋に、問題が生まれ二人の間になにかそらぞらしい空気が流れる。こんな経験だれにも1度はあるのではないだろうか?ふたりが気持ちを確かめ合うシーンで「嫌いになったらはっきりそう言って」ストレートで小気味良い表現である。そのあと俊がずっとかくして溜め込んだ気持ちを「まるで安っぽいメロドラマだ」と捨てるように言い放つ。ここもとても胸が詰まる。こまかい話はどうぞ自身でお確かめください。最後に印象に残ったセリフをひとつ。「新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!」これはまさに、現代人に宮崎親子からのメッセージかも・・・。
P.S. 手嶌葵の歌はこころが洗われる。なんてやさしい声なのだろう。聞くだけで涙が湧いてくるのは、わたしだけでしょうか?
※もうひとつ、いま彼女がリコーのCMで、吉田拓郎の「流星」を歌っています。とても癒されます。そして、あらためて名曲だと再確認できます。ゆっくりお聞きください。