09.Oct.22
東野圭吾原作のこの映画。なんとも重たい・・・。映画にはいろいろな表現や役割がある。基本は娯楽性にあると思うが、この映画のように社会テーマを拾い上げ、観客に問題を投げかける作品も数多くある。わたしはこういう映画は好き嫌いでなく、観なくてはいけないものと捉えている。社会がつくり出す歪みや苦悩、そして不条理。いつ自分自身に関ることになるかも解らない。その時自分は・・・いったい何をするのだろう?!わたしの答えはハッキリ見えているが、ここに記すことはできない。少年犯罪や裁判員制度と問題が多くあるいま、観なければ行けない一本ではないだろうか。
作品はセリフを最小限にし、こころの葛藤を表情や息づかい(音)などで決め細やかに表現している。胸がしめつけられるシーンがでてくる度、自分ならと考えてしまう。それにしても、寺尾聡(長峰)は見事だった。地味で平凡な父親だが、本当の父を完璧に演じていた。ベテラン刑事・伊東四郎(真野)と、若い刑事の竹野内豊(織部)の2人の立場のちがう感情表現にも伝わるものがある。若い刑事の行動には?マークのところはあるが・・・。そこはやはり映画なのである。犯人・長峰の気持ちを汲むあまり、冷静さを失う織部に、真野が言うセリフ「長嶺にはもう未来なんてないんだよ」という言葉。冷たいが深くて重い。ときどきこんな映画に出会う。いろいろ考えさせられる。考えても考えても終わりは見えない。わたしたち人間はいったい、どこに行こうとしているのでしょうか・・・。
P.S. パンフの表紙デザインですが、映画の虚無感(壊れてしまった心)がシンプルに表現されていて好きです。